さくらんぼ|収穫時期:5月〜7月
「佐藤錦」とともに伸び続ける
『山形さくらんぼ』
初夏だけの味わい
ルビー色の愛くるしい果実
昭和中期に「黄色いさくらんぼ」という歌が流行した。その頃のさくらんぼは黄色くて酸っぱいのが当たり前。ところが現代のさくらんぼは、鮮やかなルビー色に輝き、口に入れると甘い果汁がほとばしる。季節が限られ、愛くるしいカタチも手伝ってか、初夏のフルーツでは一番人気だ。
ここでさくらんぼのミニ知識。「さくらんぼ」「おうとう」「チェリー」使い分けの基本は、あくまでも概念的なものだが──「おうとう」は学術用語として使われ、木そのものや、木に成っている実のこと。「さくらんぼ」はもぎとられた果実、「チェリー」は加工品や輸入果実のことを指すという。
おうとうは、バラ科サクラ属の果樹。日本に渡来したのは1868年、山形県へは1876年に入った。当時は全国で試作されたが、山形県以外ではほとんどが失敗し、霜害・台風被害の比較的少ない本県だけが実績をあげた。
その後さくらんぼ栽培は山形県内で普及し、官民一体となっての努力も実り、全国生産量の約7割を占めるまでの「さくらんぼ王国」となった。「さくらんぼ観光果樹園」には毎年県内外、さらには海外からも多くの観光客が訪れる。2017年の来訪者は約50万人と、地域への経済効果が高い作目となっている。
さくらんぼの中で、味も人気もナンバーワンの品種が「佐藤錦」だ。県内栽培の約7割を占め、名声は海外までも届いている。佐藤錦の生まれ故郷はほかでもない山形県。ここで、そのドラマチックな誕生の歴史をたどってみよう。佐藤錦のおいしさが何倍にもふくらみ、親しみも増してくるに違いない。
佐藤錦の生みの親は、東根市の篤農家、佐藤栄助氏(1867〜1950)。氏は、さくらんぼの品種改良に夢をかけていた。というのも、明治時代は「日の出」「珊瑚」「若紫」などを栽培していたが、せっかく収穫しても日持ちが悪くて腐らせたり、出荷の途中で傷んでしまったりと、当時は品種的に悩みが多かったからだ。
1912年、いよいよ長い試練が始まった。栄助氏は、日持ちはよくないが味のいい「黄玉」と、酸味は多いが固くて日持ちのいい「ナポレオン」をかけ合わせてみる。この未知なるものはやがて実を結び、氏の夢をはらみながら、すくすくと育った。そして育った果実から種をとり、それを翌年にまいて50本ほどの苗を作り、さらにその中から葉が大きく質の良い苗を選び抜いて植栽し、約20本を育てた。
佐藤栄助氏の16年もの苦労が
生んだ最高品種
氏がさらに根気強く、手間をかけて育てた結果、10年後の1922年に初めて新しい木に実がなった。これこそが世紀の発見である。「風味も日持ちもよく、そして育てやすいさくらんぼ」の夢に手が届きそうな実だった。ここで氏は、さらに良いものを選び抜き、最終的に一本にしぼって原木に決定した。
この時までずっと栄助氏とともに情熱を傾けてきたのが、友人であり苗木商を営んでいた岡田東作氏だ。岡田氏はこのすぐれた新品種の将来性をいち早く見抜き、1928年に佐藤錦と名づけて世に広め、実質的には育ての親となる。1912年から苦節16年、ここに山形生まれの比類なき品種が誕生したのである。命名する際、はじめに佐藤氏は「出羽錦」との案を出したらしい。これに岡田氏は反対し、「発見者の名前を入れた『佐藤錦』がいい」と押し通したという、ほのぼのとしたエピソードが残っている。
「何かに夢中になると、なりふりかまわずのめり込む人でした」と振り返るのは、栄助氏の孫にあたる佐藤栄泰氏。「佐藤錦の原木は、フスマ袋をはぎ合わせた、大がかりな雨よけテントなどをかけられ、とにかく大事にされていたようです」とのこと。「ほかの木に比べると本当に甘くてうまかった」とは、なんともぜいたくで、貴重な思い出語りだ。
この後、佐藤錦は少しずつ出荷量を伸ばし、1975年頃から生食用の需要が高まって一気に全国区に躍り出る。また、同じ頃から本格化した雨よけハウスの導入により、着色、食味に優れ、生食に適した完熟したさくらんぼの生産が可能になったことも急激な生産拡大につながったといえる。
佐藤錦の特長は、見た目がきれいな鮮紅色で光沢があり、甘みが多く、食味が良好であることなど。また重さは一粒7〜8gだが、近年は12〜13gの大玉も多く出まわっている。
全国一のさくらんぼ生産量を誇る山形県。シェアの7割近くを占める。栽培されている品種も他県とは比較にならないほど多様だ。
生みの親、在りし日の佐藤栄助氏。醸造業を営みながら果樹を少し育てていたが、後には果樹栽培一本に。相当の勉強家であり努力家であった。
育ての親の岡田東作氏。「甘くて砂糖のようだ。それに(佐藤)栄助さんが作ったものだから」との一言で佐藤錦に決まったという。
「佐藤錦」の親の一方である「ナポレオン」。日本へは、果樹輸入初期の明治時代にアメリカからやって来た。
一粒一粒に手間と愛情をかけ
おいしい実へと
さくらんぼは「果樹園の宝石」と言われる。それは見た目の美しさに加え、栽培にあたり気象条件の難しさや手間がかかるため、一粒一粒が宝石のように貴重なものとなるからだ。
気候的に本来は、4〜5月上旬の遅霜が軽く、6〜7月上旬が比較的湿気と雨が少ないことが望ましい。山形県は全国でも数少ない適作地といえるが、それでも遅霜があり、梅雨の時期もある。そこで生産者は、燃焼資材や防霜ファンを使うなどして、つぼみや花が凍らないようにこまめに霜対策を行う。
受粉はミツバチを放し飼いにする方法と、人の手で毛バタキを使う方法などを組み合わせ、確実に受精させる。また、実が熟す頃雨があたると実割れしてしまうので、雨よけハウスは欠かせない。さらに、日当たりが悪いと色がつかないことから、収穫期が近づくと、日かげを作る余計な葉をつみとるなど、毎日こまめに手をかける。
やっとのことで収穫だが、これも一粒一粒色づきを確認し、軸ごと優しく手でもぎ取る。パック詰めともなると、粒をそろえ、向きをそろえながらの熟練した腕も必要だ。自家消費の場合はバラ詰めでもいいが、贈答用には、やはり美しく並んだ手詰めの人気が高い。
「さくらんぼは最初から最後まで人間の手をかけてやらないとね」と、生産者。収穫の後も肥料を与えたり、冬のさなかの枝の整理、芽かきと続き、一年中世話をする。これで「果樹園の宝石」といわれる理由も納得できよう。
大玉品種「紅秀峰(べにしゅうほう)」。山形県立園芸試験場が1979年に佐藤錦に天香錦を交配した。1991年に種苗登録。日持ち良く甘味濃厚。栽培量を伸ばしている有望品種。
有望品種登場
山形さくらんぼの一層の伸展に期待
県の試験研究機関では、さくらんぼの生産技術改良や品種開発を進めている。
1991年に県オリジナル品種として登録された「紅秀峰」は、着色も良く結実しやすいなど優良な形質を持っている。佐藤錦より大玉で甘みが強く、はじけるような食感とたっぷりの果汁が魅力で、従来と比較して日持ち性が良いのも特長である。収穫期が佐藤錦より遅い(7月上旬頃)晩生種であるため、さくらんぼの出荷期が延長し、新たな中元ギフトとしての需要も拡大している。佐藤錦と並ぶ主力品種として市場評価も近年高まっている。
さくらんぼは鮮度が落ちるのが早い。買ったらすぐ、あるいは摘んだらすぐに食べてほしい。せっかくのルビー色の輝きが色あせないうちに…。
* DATA *
主な産地
東根市・天童市・寒河江市・ 村山市・山形市・河北町・上山市・南陽市・山辺町・中山町・ほか