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果物|恵まれた気候が慈しむたわわな実り

収穫時期:5月〜7月

さくらんぼ|佐藤錦とともに伸び続ける、山形の「さくらんぼ」

動画での紹介はこちらさくらんぼ56kさくらんぼ256k

さくらんぼ|初夏だけの味わい。ルビー色の愛くるしい果実

全国一のさくらんぼ生産量を誇る山形県。シェアの7割近くを本県産が占める。栽培されている品種も他県とは比較にならないほど多い。

全国一のさくらんぼ生産量を誇る山形県。シェアの7割近くを本県産が占める。栽培されている品種も他県とは比較にならないほど多い。

初夏だけの味わい。ルビー色の愛くるしい果実

 昭和中期に「黄色いさくらんぼ」という歌が流行した。その頃のさくらんぼは黄色くて酸っぱいのが当たり前。ところが現代のさくらんぼは、鮮やかなルビー色に輝き、口に入れると甘い果汁がほとばしる。季節が限られ、愛くるしいカタチも手伝ってか、初夏のフルーツでは一番人気だ。
  ここでさくらんぼのミニ知識。「さくらんぼ」「オウトウ」「チェリー」使い分けの基本は、あくまでも概念的なものだが──「オウトウ」は学術用語として使われ、木そのものや、木に成っている実のこと。「さくらんぼ」はもぎとられた果実、「チェリー」は加工品や輸入果実のことを指すという。
  オウトウはバラ科サクラ属の果樹。日本に渡来したのは明治元年、山形県へは明治9年に入った。当時は全国で試作されたが、山形県以外ではほとんどが失敗し、霜害・台風被害の比較的少ない本県だけが実績をあげた。
  その後さくらんぼ栽培は山形県内で普及し、官民一体となっての努力も実り、全国生産量の約7割を占めるまでの「さくらんぼ王国」となった。近年も栽培面積は増えており、平成18年には「さくらんぼ狩り」に約70万人もの観光客が訪れるなど、地域への経済効果が高い作目となっている。
  さくらんぼの中で、味も人気もナンバーワンの品種が「佐藤錦」だ。県内栽培の約7割を占め、名声は海外までも届いている。佐藤錦の生まれ故郷はほかでもない山形県。ここで、そのドラマチックな誕生の歴史をたどってみよう。佐藤錦のおいしさが何倍にもふくらみ、親しみも増してくるに違いない。
  佐藤錦の生みの親は、東根市の篤農家、佐藤栄助氏(1867〜1950)。氏は、さくらんぼの品種改良に夢をかけていた。というのも、明治時代は「日の出」「珊瑚」「若紫」などを栽培していたが、せっかく収穫しても日持ちが悪くて腐らせたり、出荷の途中で傷んでしまったりと、当時は品種的に悩みが多かったからだ。
  大正元年、いよいよ長い試練が始まった。栄助氏は、日持ちはよくないが味のいい「黄玉」と、酸味は多いが固くて日持ちのいい「ナポレオン」をかけ合わせてみる。この未知なるものはやがて実を結び、氏の夢をはらみながら、すくすくと育った。そして実った実から種をとり、それを翌年にまいて50本ほどの苗を作り、その中から葉が大きく質の良さそうな苗だけを選び抜いて移植し、約20本を育てた。

佐藤栄助氏の16年もの苦労が生んだ最高品種

 氏がさらに根気強く、手間をかけて育てた結果、10年後の大正11年に初めて新しい木に実がなった。これこそ世紀の発見である。「風味も日持ちもよく、そして育てやすいさくらんぼ」の夢に手が届きそうな実だ。ここで氏は、さらに良いものを選び抜き、最終的に1本にしぼって原木に決定した。
  この時までずっと栄助氏とともに情熱を傾けてきたのが、友人であり苗木商を営んでいた岡田東作氏だ。岡田氏はこのすぐれた新品種の将来性をいち早く見抜き、昭和3年に「佐藤錦」と名づけて世に広め、実質的には育ての親となる。大正元年から苦節16年、ここに山形生まれの比類なき品種が誕生したのである。命名する際、はじめに佐藤氏は「出羽錦」との案を出したらしい。これに岡田氏は反対し、「発見者の名前を入れた『佐藤錦』がいい」と押し通したとの、ほのぼのとしたエピソードが残っている。
  「何かに夢中になると、なりふりかまわずのめり込む人でした」と振り返るのは、栄助氏の孫にあたる佐藤栄泰氏。「佐藤錦の原木は、フスマ袋をはぎ合わせた、大がかりな雨よけテントなどをかけられ、とにかく大事にされていたようです」とのこと。「ほかの木に比べると本当に甘くてうまかった」とは、なんともぜいたくで、貴重な思い出語りだ。
  この後、佐藤錦は少しずつ出荷量を伸ばし、昭和50年頃から生食用の需要が高まって一気に全国区に躍り出る。その特長は、見た目がきれいな鮮紅色で光沢もあること。甘みが多く、果皮が厚くて遠地輸送にも耐え、さらに収量が安定していることなど。また重さは1粒7〜8gだが、近年は12〜13gの大玉も多く出まわっている。

「佐藤錦」の親の一方であるナポレオン。日本へは、果樹輸入初期の明治時代にアメリカからやって来た。

「佐藤錦」の親の一方であるナポレオン。日本へは、果樹輸入初期の明治時代にアメリカからやって来た。

生みの親、在りし日の佐藤栄助氏。醸造業を営みながら果樹を少し育てていたが、後には果樹栽培一本に。相当の勉強家であり努力家であった。

生みの親、在りし日の佐藤栄助氏。醸造業を営みながら果樹を少し育てていたが、後には果樹栽培一本に。相当の勉強家であり努力家であった。

育ての親の岡田東作氏。「甘くて砂糖のようだ。それに(佐藤)栄助さんが作ったものだから」との一言で佐藤錦に決まったという。

育ての親の岡田東作氏。「甘くて砂糖のようだ。それに(佐藤)栄助さんが作ったものだから」との一言で佐藤錦に決まったという。

一粒一粒に手間と愛情をかけ、おいしい実へと

 さくらんぼは値段が高い。それは気象条件の難しさも含め、栽培の手間が驚くほどかかるからだ。
  気候的に本来は、4〜5月上旬の遅霜が軽く、6〜7月上旬が比較的湿気と雨が少ないことが望ましい。山形県は全国でも数少ない適作地といえるが、それでも遅霜があり、梅雨の時期もある。そこで生産者は、燃焼資材や防霜ファンを使うなどしてつぼみや花が凍らないようこまめに霜対策を行う。
  受粉はミツバチを放し飼いにする方法と、人の手で毛バタキを使う方法などを組み合わせ、確実に受粉させる。また実が雨にあたると実割れしてしまうので、雨よけハウスは欠かせない。さらに、日当たりが悪いと色がつかないことから、収穫期が近づくと、日かげを作る余計な葉をつみとるなど、毎日手をかける。
  やっとのことで収穫だが、これも1個1個色づきを確認し、軸ごとそっと手でもぎ取る。パック詰めともなると、向きをそろえ、粒をそろえながらの熟練した腕も必要だ。自家消費の場合はバラ詰めでもいいが、贈答用には、やはり美しく並んだ手詰めの人気が高い。
  「さくらんぼは最初から最後まで人間の手をかけてやらないとね」と、生産者。収穫の後も肥料を与えたり、冬のさなかの枝のせん定、芽かきと続き、1年中世話をする。これで「果樹園の宝石」といわれる理由も納得できよう。

次世代を担う新品種「紅秀峰(べにしゅうほう)」。山形県立園芸試験場が昭和54年に佐藤錦に天香錦を交配した。平成3年に種苗登録。日持ち良く甘味濃厚。少しずつだが栽培量を伸ばしている期待の品種。

次世代を担う新品種「紅秀峰(べにしゅうほう)」。山形県立園芸試験場が昭和54年に佐藤錦に天香錦を交配した。平成3年に種苗登録。日持ち良く甘味濃厚。少しずつだが栽培量を伸ばしている期待の品種。

新品種も登場。
山形さくらんぼの一層の伸展に期待

 山形県の試験場では、技術改良や品種開発を進めている。
 近年、新品種として注目されるのが寒河江市を中心に栽培されている「紅秀峰」だ。佐藤錦より大玉で甘みが強く、はじけるような食感とたっぷりの果汁が魅力。収穫期が佐藤錦より遅いため、出荷期・出荷量の伸長や、新たな中元ギフトとしての需要拡大にも期待されている。
  さらに、次の時代に人気を呼びそうなのが「紅きらり」という品種だ。これまでのさくらんぼは、一品種だけでは結実せず、畑には他品種を受粉樹として混植する必要があった。ところが、紅きらりは、単独でも実をつけるよう開発されたもの。平成元年、山形県の試験場で交配し、佐藤錦と同様に、丹念に選抜されながら育てられ、平成18年にやっと品種登録申請にこぎつけた。その実は佐藤錦の2Lサイズクラスと大粒で、可愛いハート形をし、名前の通りキラキラとした光沢がある。酸味が少なく、さっぱりとした甘さで食べやすいのも特長。早くほおばってみたいが、これから農家が苗木から育て、結実させて出荷するまでは、まだしばらくかかりそうだ。
  ところで、さくらんぼは鮮度が落ちるのが早い。買ったらすぐ、あるいは摘んだらすぐに食べてほしい。せっかくのルビー色の輝きが色あせないうちに…。

さくらんぼ|新品種も登場。山形さくらんぼの一層の伸展に期待

★主な産地★

東根市・天童市・寒河江市・ 村山市・山形市・河北町・上山市・南陽市・山辺町・中山町・ほか

★主な品種と収穫時期★

さくらんぼの主な品種と収穫時期

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